Latest blog

蓮如上人・浄土真宗発展のルーツ!吉崎御坊と嫁脅しの面 vol.1

歴史好きな人必見✨浄土真宗とか仏教に全く興味がなかった私も面白すぎた( *´艸`)

石川との県境、あわら温泉の近くに位置する吉崎御坊・願慶寺でとても興味深い話を聞いてきました!!

「吉崎御坊」というと福井県民にはあまりなじみがないのですが(私の親世代は遠足とかで行っていたそうです・・・・)

浄土真宗発展の基盤として知られる本願寺直轄の寺院。

今から20年ほど前に大量の古文書が発見され調査が進み、徐々に蓮如上人と吉崎御坊の歴史が明らかになってきたそうで、近年では県境の石川県からも多く観光客が来ているんだそうです。

福井市内からはJR芦原温泉駅から車で約15分、石川方面からは北陸自動車道金津ICから20分です!

国道305号線に大型バス含め40台程停車できる無料駐車場あり。周辺にはお土産屋さんもあります★

DSC05187

吉崎御坊跡のふもと一帯にいくつかお寺があるのですが、吉崎御坊(御坊とは昔の役所を指す)は願慶寺が本願寺からの任命により享保6年(1721)からその職にあたっていたとのこと。

yoshizakigobo 吉崎御坊
願慶時は駐車場から坂を上がりこの細い階段をのぼった先にあります。

吉崎御坊 嫁脅し 吉崎御坊 嫁脅し

「嫁おどし伝説」がかなり気になりますよね~w後程その詳細も書くのでご心配なく!!

そして更に気になる看板を発見!

DSC05198

歴史が封印された村!?とはどういう意味でしょうか??かなり怪しげ💡(笑)

DSC05197 DSC05199


スポンサーリンク




 

早速中で住職のお話しを伺いました💡(拝観料は一人500円)

以下はその時の住職のお話と頂いた資料や調べたことをまとめた内容です。↓


(1)蓮如上人と吉崎の出会い


全国的には知名度がそれほど高くない蓮如上人ですが、福井県民ならば一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

蓮如上人は本願寺第8世の室町時代の僧侶で親鸞聖人の浄土真宗の教えを正確に引き継いだといわれています。

日本で最も分布の多い浄土真宗ですが中でも北陸地方での信仰者数は圧倒的に多く、福井は現在も真宗王国と言われています。(禅宗大本山の永平寺をPRしているけども・・・w)

その鍵を握るの人物こそが蓮如上人なのです。

比叡山延暦寺の迫害を受け京を追われた蓮如はこの吉崎の地に赴き、吉崎山の頂に道場を開き浄土真宗の布教活動を始めました。

そして浄土真宗の布教に大成功し、それがあの歴史的な一大事件の引き金にもなったといわれています。

現在、願慶寺のすぐ裏山には吉崎道場跡が残っており、現在は国の史跡に指定された公園として整備されています。

DSC05209

裏山の道は階段になっていてヒールでも登れます。徒歩5分かからないくらい!

DSC05215

奥には1934年に高村光雲が作った蓮如上人像があります✨

 

 

(2)蓮如の教えと革新的な浄土真宗の広まり


蓮如上人が浄土真宗の布教に成功した秘訣とは何だったのでしょうか?!

蓮如上人は「仏教は人々を差別しない。阿弥陀如来を信ずる人は、みな平等に救われる。」と説き、身分を取り払って物々交換の場をつくり、いつしかそこは民衆の集う場となったそうです。

そして職業にも関係なく、「南無阿弥陀仏」を唱えれば、仏の慈悲により救われると説いたこの教えは、在地の有権者から読み書きを教わっていない、恵まれない生活をしていた農民や手工業者、行商人にとってもわかりやすくありがたい教えであり、急速に広がりました。

吉崎で布教を初めて2~3年すると、北陸・信越・東北等各地から上人の元へ参拝される人たちが後を絶たなくなったそうです。

さて、ここで登場するのが冒頭の看板にもあった「嫁脅し肉付き面の伝説」です。

そしてなんと、その話に登場する肉付きの面がなんとこの願慶寺に現存していたのです~!!

 

ということでその詳細はvol.2をチェック!!!

 


スポンサーリンク




 
☆blogランキング参加しました( *´艸`)

村上姉妹のblogを応援して下さる方クリックしてね♥ありがとうございます!
人気ブログランキングへ

Leave a comment

Your email address will not be published.


*


TOP