蓮如上人・浄土真宗と吉崎御坊vol.3 ~歴史上の一大事件!加賀の一向一揆~
vol.1・vol.2に続きアクセス頂きありがとうございます♥
これまでの記事、蓮如上人の教えと吉崎での浄土真宗発展については楽しんで頂けましたでしょうか?( *´艸`)
蓮如上人が布教を始めてから、吉崎には多くの参拝者が集まり、それにより宿舎も増え吉崎の地はいつしか一大仏教都市にまで発展します。(すごい経済効果!!!)
強すぎた百姓勢力!加賀の一向一揆
北陸地方へとどんどん布教を進める蓮如上人ですが、それにより一向宗徒の巨大な勢力が形成されます。それがあの有名な加賀の一向一揆に発展するのです。
加賀とはお隣の現在の石川県。1488年,加賀の国の守護大名、富樫政親が一向宗(浄土真宗)の勢力が強くなることを恐れて一向宗を弾圧した為に勃発しました。実際には、その一向一揆では信者だけではなく、浄土真宗以外の百姓や地元の国人衆たちも力を合わせて戦ったといわれています。
そしてなんと加賀では一向宗勢力が勝利し戦国の世で100年にもわたり百姓たちによる地方自治が続いたのです。
その後江戸時代に入り、徳川家は本願寺の勢力を恐れて本願寺を分裂させ、現在の西本願寺と東本願寺となったそうです。
ちなみに現在でも福井県は真宗王国といわれるほど浄土真宗の割合が多く(禅の総本山の永平寺押しな割に・・・(笑))6割以上の家が浄土真宗だそうです。
まさに歴史の一途をになったともいうべき蓮如上人と浄土真宗。
私もタイムマシンがあるのならば当時の蓮如上人に会ってみたいものです。。。
蓮如の残した歴史をつなぐ願慶寺
願慶寺には蓮如上人がいた頃の地図や資料が現存しており、現在では教育関係の方も歴史を知るべく足を運んでこられるそうです。資料は参拝者にも公開されています。
江戸時代にはお寺が役所の役割を担っていたこともあり、本願寺の直轄寺院であった願慶寺は松平藩金津奉行所との窓口だったそうです。
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こちらは当時の吉崎の復元図。
現在は北潟湖の周囲は埋め立てられ大きな道路が走っていますが昔はこのように海に囲まれていたんですね~。
ちなみに有名な小説家である五木寛之さんもよく来られているんだとか。。
住職さんは蓮如のお話も嫁威しのお話も、吉崎の歴史もなんでも良くご存じで快く答えてくださるので、是非隠された歴史について色々聞いてみてくださいね♥
そしてvol.1でも触れましたが吉崎道場跡(吉崎御坊跡)も忘れずに行ってみて下さい!!
高村光雲の四大傑作に数えられる蓮如上人像↓と北潟湖と日本海を臨む景色は必見です!!!(入場無料♥)
蓮如上人がよく腰掛け景色を眺めたとされる「蓮如上人御腰掛石」↓
本堂跡↓
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最後までお読み頂きありがとうございます♬
Vol.1~Vol.2までの「蓮如上人・浄土真宗と吉崎御坊」はいかがでしたでしょうか??( *´艸`)
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